クラシック

2008/07/09

ソナくそ第7回 お題「クロイツェル・ソナタ」まとめ

この「クロイツェル・ソナタ」の第一楽章というのは、提示部までのあまりにも結晶化されたすばらしい出来に対し、展開部より後は、悪い出来ではありませんが、最上とは言えない気がします。それは、おそらくこの曲がかなりのスピードで書き上げられた・・・と言うより書き上げざるを得なかった事情(初演の日程に合わせるため、ほぼやっつけに近い書かれ方をした)と無縁ではないと思います。逆にその状況でこのクオリティは、まさに神業ですが、もう少し腰を落ち着け時間をかければ、もっと充実したものを作ったでしょう。

でも、ベートーヴェンはそうしなかった。フィデリオ(「レオノーレ」)を、あれほどしゃにむになって改作をした男と同一人物とは思えない放り投げっぷりです。まあ、もともと一旦出来上がった作品を改作するなんていう弱々しい考えはベートーヴェンにはなかったけど。「男に二言はない」。むしろフィデリオが特殊だったんでしょう。

それどころか、このヴァイオリンとピアノのデュオという演奏形態にベートーヴェンが熱中する事はもはやなかった。この「クロイツェル」初演から8年もたった後に、第10番が書かれましたが、作品としては佳品であってももはや「戯れ」にすぎない。ブリッジタワーとの一件がトラウマになったのだろうか?おそらく違うでしょう。「クロイツェル」の楽譜を見ると良く分かるのですが、当時の楽器の性能で「ヴァイオリンとピアノを競わせる」というのに限界があったからだろうと推測します。「クロイツェル」のピアノパートを見ると、そこここにヴァイオリンとダイナミクス等のバランスを整えるのに苦労しているベートーヴェンの姿が垣間見える。そんなめんどクサいことをするより、ヴァイオリンを生かす道は他にもあるのですよ。例えばピアノトリオ、例えば弦楽四重奏・・・。

もうひとつ考えられるのは、耳の疾患が進行し、自らピアノを弾いてコンサートを催す事が困難になったことかなあ。それに耳鳴りが激しいと、ヴァイオリンの高音域というのは、かなり耳にとって苦痛だったのではないでしょうか?よっぽど誰かが金積んで注文しない限り、そうおいそれと作曲のペンを取る事はないと考えます。(実際第10番は最大のパトロン、ルドルフ大候の注文ですし)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

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2008/07/07

ソナくそ第6回 お題(続々)「クロイツェル・ソナタ」

今回はいきなり本題です。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

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ソナくそ第6回 お題(続々)「クロイツェル・ソナタ」

今回はいきなり本題です。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

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2008/07/04

ソナくそ第5回 お題(続)「クロイツェル・ソナタ」

前回「クロイツェル」というのは人の名前だと書きましたが、具体的には、この曲を捧げた当時著名なヴァイオリニストの名前です。でも、このヴァイオリニストはフランス人なので、本来は「クレゼール」と読ませるのですが。献呈文には「我が友」なんて書かれているそうですが、実際に親交はほとんどなく、要するに、この曲の初演時のパートナー「ブリッジタワー」というヴァイオリニストとケンカしたために、「お前になんかやらん、クロイツェルにくれてやるわい」と、あてつけがましく献呈文を書いたのではないでしょうか?

ケンカの理由はよくは分かっていません。女絡みというのが専らの噂で、当時フ○イデーがあれば、きっと「ベートーヴェン、ブリッジタワーと一人の女を巡り断絶」というゴシップを書いたでしょう。でもね、ベートーヴェンはそんなオンナごときでとやかく言う俗物じゃあないよ。音楽上での対立があったと考えるのが普通でしょう。私は実はそれだけではないかも?と思っていますが、これについては、何の確たる証拠もありませんので、とやかく口出しはいたしません。ただ、ベートーヴェンにとっては非常に旗色の悪い話だと思います。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

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2008/07/02

ソナくそ第4回 お題「クロイツェル・ソナタ」

今回のお題は「クロイツェル・ソナタ」です(ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第9番イ長調op47)。ベートーヴェン33歳の時の作品・・・うわぁショックや、今のオレより若いじゃん。

ベートーヴェンの「クロイツェルソナタ」、この名前の「響き」も相当イケてるねえ。実際このタイトルの小説もあったっけ。クロイツェルというのは単なる人名なんだけど。

この曲、ベートーヴェン好きならキライな人いないでしょう?きっとそうでしょう。そうに決まっている。あったりまえじゃん。ベートーヴェンの一番おいしい部分がこんなにギュッと詰まっているんだぜ。第1楽章の英雄的なメロディー、第2楽章のうっとりするような優しさ、そして第3楽章の血わき肉踊る快感。どれかひとつだけ取り出したって十分な聴き応えなのに、それが三つセットになって1曲だなんてめちゃくちゃおトクだろ。聴いている間中、胸が躍りっぱなしとはまさにこの事。いやあ、オレ音楽出会えて良かったよお、ベートーヴェンとお知り合いになれて(なれてないって?)本当に幸せだよと、心から思える瞬間だわさ。

・・・いかんいかん、つい余計な事をしゃべってしまいましたが、そうそう、今回はソナタ形式を語る会なので、そちらに話題を振らなければいけませんね。

まずは「一般的なソナタ形式のフォーム」に則って、この曲の第1楽章の「提示部」と言う部分の分解を行っていきましょう。

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2008/06/30

ソナくそ第3回 「そもそもソナタ形式なんて」

では「ソナタ形式をしゃべくる回」のつづき・・・

☆☆☆☆☆☆☆☆☆

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2008/06/27

ソナくそ(ソナタ形式なんてクソ食らえ!)第2回 「ソナタ形式とは?」

ソナタ形式とは?

・・・各自でお調べ下さい。

ちなみに私は「ソナタ形式」なるもの、全て実践で覚えました。楽書、解説書の類は一切見ておりませんで。「ソナチネ・アルバム」に載っている曲2,3曲弾けば分かると思うんですけどねえ。とりあえず、本ブログでは省略いたします。

おわり。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

さすがにこれだけではナンなんで、もう少し書きます。

ところで、音楽の楽しみってどこにあるんでしょうか?(・・・いきなりデカいテーマになったぞ??)

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2008/06/25

ソナタ形式なんてクソ食らえ!(略してソナくそ) 第1回??

久しぶりに、音楽の事を書こうかと思います。

で、結局またベートーヴェンを書く気でおります。またかよ・・・って感じですけど。

もちろん、分かっております。お題はジャズのスタンダードでもいいし、ビートルズやレッドツェッペリンまでなら全曲解説できるかもしれません。でも、結局ベートーヴェンにしてしまった理由は、カクカクシカジカ・・・(中略)・・・と、こういう訳なんですって、なんだっていいさ。

次にタイトルの話。いまさら、ソナタ形式ったって、AVの中にしか存在しない女子高生のブルマーの如く、絶滅したも同然・・・(こんな例えしかできなくてゴメン)・・・で、それをクソ食らえったって、どうにもこうにも仕方ないわけですが、タイトルなんて、人目につきゃ何でもいいぞって事で。bleah

こういう事を本当はプロが言うと名を下げるばかりで良くないんですけど、私は、ピアニストたって、クラシック上手く弾けません。でも一生かかってでも良いからいくらかマシに弾けるようになりたいのは、ベートーヴェンのピアノソナタ(+ディアベッリ変奏曲)だけで、あとは、究極的にはどうだっていいや。(要するに諦めているだけですsnow)

ていう人なんで、やっぱりベートーヴェンをネタに、ブログ書くのが、私の精神衛生上効果的なのです。ただ書くと言っても、これのために、膨大な資料を読む、とか、図書館行って片っ端から研究書を覗くようなことはやりませんで、ただ、楽譜だけを頼りに書くつもりです。私は研究者じゃなく、一介の(全く売れない)ミュージシャンですから。なので、ひょっとしたら史実として間違った事も書くかもしれませんが、まあ気にしないでください(見つけたらメールでご指摘下さい)。・・・あんまり真剣になると「安楽ブログ」の趣旨(特にない)からどんどん外れてゆくし。

せっかく書くんならピアノソナタを32曲全部書いてやろうか?と、いかにもめんどクサそうな事を考えたりするのですけど、ブログでそんな事をやったって、絶対「32番まで到達する事無くダウン」するんじゃないかと思います。

次回はせっかくなんで、タイトルの「ソナタ形式」の事をつらつら書いてみようと思います。

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2008/01/19

フルトヴェングラーかカラヤンか?その7 「最終回」

そろそろ、いい加減にこの記事もシメないとあかんかなあ・・・

前回までの記事の流れで行くと、「フルトヴェングラーもカラヤンも一長一短。曲の真意を伝えるというよりも、それぞれが、良い意味でのお客アピールのための『外面的効果』を狙っていると言う意味では同じ。」てな具合に落ち着くのが筋だし、最初にコレを書き出した頃は、そういう結論を導き出す予定でした。(でした、確かに!)

「理想の演奏は、スコア(総譜)と、それを読む一人一人のイマジネーションの中にしか存在しない。」・・・みたいな。

話をおかしくしてしまったのは、実演(ライブ)を観に行ってしまった後のことで・・・。

最初は、ブログのネタの仕込み的なノリで、12月23日の小林研一郎さんの第九のライブを聞きに行ったんですが(オーケストラは名古屋フィル)、これがマズかった・・・

何がマズいって、久方ぶりに「ライブを聞く喜び」を体全体で体験してしまったことですよ。

正直言って、2007年の名古屋という地方都市くんだりで、こんなに良い音楽体験ができるだなんて、思っても見なかった。

細かい部分の感想は、この記事の趣旨と離れるので書きませんが、やはり、1000回のレコード(CD)で聴く「音楽体験」は、1回のライブで体全体で感じる「音楽体験」の足元にも及ばない、それを痛感してしまいました。もちろん、それが感じられないようなクォリティの低い「ライブ」もあるんですが(その方が多いかも、ね!)、少なくともこの日の演奏はそうじゃなかったし、第3楽章とか、私自身、かなりヤバかった。あの、第2テーマで、ヴィオラ(+第2ヴァイオリン)が静かにセレナーデを奏でている所に、そっと第1ヴァイオリンが寄り添ってくるあたり・・・、もう、なんていうか、私は金も名誉も甲斐性もなんにも持たない男だけど、ベートーヴェンを知りえた事は、自分の最大の財産だし、名誉だし、幸せですよ。

それにしても、なんと美しい音楽なんだろうか?

美しい、美しい・・・

私は今、こうしてブログを書いてるときだって、それを思い出して、再び身震いが止まらなくなってくる・・・

・・・

・・・・・・

というわけで、結論です。今回は大どんでん返しで、フルトヴェングラーの勝ちとします。と言っても僅差なんだけど。

クラシック音楽(=ここでのクラシックとは、R.シュトラウス、バルトーク、ショスタコヴィッチあたりまでを指し、それ以降のコンテンポラリーは含めません)が、ジャズやロック・ポップスと、最大に違うことのひとつ、・・・それは、その成り立ちに「録音」という行為を想定していないことにあります。クラシック音楽の持つ、ダイナミックレンジの広さ大きさは、そもそも、電気的な処理とは噛合わないんでしょうね。ジャズやポップスは、その成立と発展に「録音」を重視したし、利用したし・・・まあ、最近は逆に音楽が電気に食われているけども。

もちろんカラヤンは、それと生涯を通じて闘いましたが、元々「生演奏」が一番合うフォーマットだけに、もうどうしようもない部分もあるのですね。そうしてみると、録音物である程度ライブの「予想」がついてしまうカラヤンより、多少ミステリアスな部分のあるフルトヴェングラーの方が、「クラシック音楽の基本は生演奏」という観点からはより楽しみ・期待感が大きい、と言うことになります。

個々の音楽作り、解釈の良否は、結局一長一短です。てか、どちらも、おっそろしく高いレベルであることは間違いないですから(私ごときがとやかく言える分際ではないです)、お好みやその日の気分に合わせてどうぞ、というほかありません。

というわけで、足掛け5ヶ月に渡って、文章を長々書き連ね、結局なんだか訳わかんなくなりましたね。しかも最初と言っている事違うし(!)。

長文駄文読んでくださり、申し訳ありませんでしたm(_ _)m

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2007/12/28

フルトヴェングラーかカラヤンか?その6 お題「第九交響曲」

さてさて、今年最後の更新になるか、まだ書くか、の瀬戸際ですが・・・

お題>ベートーヴェン作曲 交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付」

フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団、同合唱団、シュヴァルツコップ、ヘンゲン、ホップ、エーデルマン、1951年バイロイト祝祭劇場でのライブ収録

もう方々で散々語りつくされた感のあるフルトヴェングラーの1951年バイロイト盤、バイエルン放送のお蔵入りテープからの掘り起こしというCDが手に入りましたので、そちらと、元々EMIから出ていた通常盤を駆け足で聞き比べながら、この記事を書いております。

デジタル・リマスターのおかげで、どちらの盤でも、音質そのものに大きな不満はないのですが、やはり、細かな音のバランスは、ライブ収録のせいもあって、想像するよりほかありません。とはいえ、全体の音作りは、前回述べた「コリオラン」と、そう大差はないでしょう。弦楽器を主役にすえた、オーケストラのバランス、そして、主旋律、対旋律などの「出す音は出す。引っ込める音は引っ込める」の対比作り、リハーサルに相当時間を費やしたとされる人なので、細かい部分の楽器の出し入れは、リハの時に完全に固めているのでしょうね。そのせいもあって、音楽全体の骨格だとか、メロディーの推移、といったこと、つまり音楽を「聴かせる」仕事は、実演一発勝負なら、やはりカラヤンより数段も上のように感じます。フルトヴェングラーのライブを聴き終えたお客さんは、会場を後にしても、音楽の個々の場面、メロディーが、はっきりと胸の中に印象として残る、カラヤンの場合は、全体を通しての、すごい音響や、棒さばきは印象に残っても、具体的にどこどこが良かった、とは言いにくいんじゃないかな?

片山、このCDは小学6年の時に買いました。それ以来20年、自分の中での「第九」のスタンダードはフルヴェンでした。それだけに、この演奏に関する思い入れも多々あるわけです。とはいえ、この場でそんな思い入れを語っても仕方がない。というのは、私自身、数々の音楽体験や、楽譜の読み込みを進めた結果、最近はフルトヴェングラーのベートーヴェン解釈にある種の疑念を感じてしまうからなのです。

もっとも端的で分かり易いのはテンポ取り(つまり速さの解釈)でしょう。まあ、これはフルトヴェングラーに限らず、どの指揮者にも必ず「解釈」と称した、楽譜という事実からの捻じ曲げが存在する・・・誤解して欲しくないのですが、これは決して全てにおいて悪いことだとは思っていませんよ。ある時は聴衆への分かり易さの為に、またある時はオーケストラや合唱団の技量にあわせる為に、こういった「解釈」は必要でしょう。ただ、フルトヴェングラーのそれに疑念を感じるのは、そのテンポの取り方に、ベートーヴェンより、フルトヴェングラー自身の人間性を前に押し出そうとする印象を与えるからです。なぜって、楽譜を読むまで、私はフルトヴェングラーのテンポ取りこそ、「第九」の最もふさわしい解釈と信じて疑わなかったんだから。

具体的にどこがどう、という話はいずれまたいたします。結論から先に書かせていただくと、この演奏は「ベートーヴェンの第九」というよりは「フルトヴェングラーの第九」であり、フルトヴェングラー自身も作曲家だったのですから、まさに、自分とベートーヴェンとの合作・・・良い言い方をすると、どこまでがベートーヴェンでどこからがフルトヴェングラーか分からぬくらいの渾身一体の演奏と捉えることができます。勝手な憶測ですが、おそらく19世紀のワーグナー、マーラーらも、部分的な解釈こそ違えど、指揮の方向性はこういったものだったのでしょう。

意地悪く言えば、「ベートーヴェンをダシにして、自分(指揮者)の実力を見せつける。」・・・このブログの中で、私がどこかで書いたことの繰り返しです(笑)・・・ようやく結論らしきものが見えてきましたね。次回にまとめます。

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