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2007/09/25

フルトヴェングラーかカラヤンか?その2 お題「コリオラン」

というわけで、前回の続き。聞き比べのコぉーナぁーッ!!

もちろん、お題はベートーヴェン、ホントは「第9交響曲」くらい取り上げたいんだけど、「序曲コリオラン」です。

てか個人的にベートーヴェン入門は、序曲が一番いいと思ってるんだけどね。「エグモント」「コリオラン」「レオノーレ3番」の順だな。ベートーヴェンならシンフォニーがもちろんゼッタイなんだけど、「第5交響曲」でも30分はかかるし、ならばと、第1楽章だけ、なんツー横暴は死んでも許さんからな、アタシは。その点、序曲は一点ものだし(厳密には違うが)、「エグモント」「コリオラン」は10分足らず、しかも、彼の「おいしい部分」が凝縮されているので、手っ取り早い。

この3曲の中で、私は「コリオラン」を最も好む。

理由はカンタン。一番ベートーヴェン自身の「ホンネ」に近い部分が表れているから。

この曲は「第5交響曲」が書かれた時期とほぼ同時期(コリオランの方がチョイ前)に書かれ、「第5」と同じ調性(コードですよ)である事から、姉妹作のように思われがちだが、違うと思う。むしろ私にはプログラムとしては「第9」への伏線を強く感じる(つまりもっと先を見据えていると言う事)。そして、この曲は太古のローマの英雄「コリオラヌス」の戯曲に影響を受けた、とあるが、まあ、それが本当だとしても、この曲に描かれているのは「コリオラヌス」ではなく、まんま「ベートーヴェン」自身だろう。

この曲、雰囲気としてはもちろん十分に「ベートーヴェン」らしさを出しているものの、作曲語法はむしろ、ベートーヴェンとしては特異・・・というか、実験的なものを私は感じる。この頃(つまりコリオラン作曲時期、年齢は30代半ば)のベートーヴェンの管弦楽曲というのは、テーマに三和音、つまり「ド・ミ・ソ」を駆使したものが圧倒的に多い。例示するまでもなく・・・

「第3交響曲」第1楽章・・・「ドーミドーソドミソド」

「第4交響曲」第1楽章・・・「ミドソドミソドミ・・・」

「ヴァイオリン協奏曲」第3楽章・・・「ドソードミソドソードミソ」

(全て、ハ長調に読み替えてます)

全部が全部ではないものの、三和音のモティーフと、それに対比させる「音階的」モティーフ(ドレミファソー、ソファミレドーみたいな)の組み合わせと、その展開(つまり素材を色々料理するわけですな)が、この頃の彼の作曲のテーマの重要なひとつであったと思うのだけど、この「コリオラン」は、それとは違ったアプローチを見せる。

私の言葉が拙いので、伝わりにくいかもしれないが、

「音高=音程によって、感情の喚起をさせる技法」

うーん、言えとらんね。なんて言うか・・・、つまり、心理学的にどうなのかは知らんけど、普通の人の耳には上昇していくメロディー(高い方に段々音が上がる)は、高揚感を生むし、下降してゆくメロディーは、沈降や、落ち着きを感じるだろう・・・という、アレ(ドレ?)である。

余計分からん?・・・、では手っ取り早く譜例をあげる。・・・あ、譜面ムズカシイっつって飛ばさないでね。別に音なんか一つ一つ読まずに、雰囲気だけつかんで下されば結構ですから。

0925001_2

これは、最初のテーマ(歌謡曲で言うところのAメロだ)のヴァイオリン部分を抜き出したもの。ここは、聴けば分かるが、男性的で、推進力のあるメロです。最初の4小節でモティーフを高く、たかぁく持ち上げて、5小節目で頭打ちになる。しかも、半音ずつ降りてくる(譜面中赤丸をつけたトコ)、この「ちょっとずつ降りる」というのは、後からとっても大事な「テーマ」になるんで覚えておいてね。

で、次、突然無音になった後(ゲネラルパウゼ)、同じメロをもう一回繰り返すのだけど、実は、同じじゃなくて、一個低い音から始まる。なぜそうしたかは省略するけど、おかげで、すんげぇ不気味な効果となって現れます。「最小にして最大の効果を得る」まさしく、天才の技だわな、ここは。・・・ここで、一旦沈み込んだ後、再び音楽は上昇気流に転じる。

で、次の譜例・・・

0925002_3   

ダイナミクスはff(フォルテッシモ、きわめて強く)ですから、音楽は当然盛り上がってマス。でも、良く見ると赤丸の部分は半音~一音ずつしか音が上がってナイ。苦しげ、一気にピョーンと上がらないものか!そして頂点らしい頂点を持たず、落ちていく(青丸)、落ちる時も半音ずつ・・・、そう!さっきの「ちょっとずつ降りる」アレ。そして、このテーマは沈みながら終わりを告げ、次のテーマ(Bメロ、ま、意味ぜんっぜん違うけどサビに近いです、ここは)になる。下の譜例↓

0925003_3

一回だけ一オクターブの跳躍音程(赤線部分)があるけれど、一オクターブってのは、同音なので跳躍感を聴くものに与えない。つまり、ここは一環して水が高きから低きへ流れるかのような落ち着きを感じさせますね(感じなきゃ無理矢理思え(笑)!)。いわば「なで肩の女性にもたれかかる」ようなモンだ(実際ここは英雄の妻を描写したものだ、と論じる学者もいます)。

ここで、もうひとつ注釈がいる。上昇音程、下降音程、といっても、たとえば、順繰りに上がる(ド→ド#、ド→レ)のと、飛び上がる(ド→ファとか)のでは、高揚感が違うし、下降にしても一気に下降(ソ→ドとか)すれば、落ち着きより、奈落へ突き落とされるような不安を感じる。当然この曲では、その効果も使われる。

これは第2テーマの後半、さっきの第1テーマと同じように、少しずつ音程が上昇して、それ「クライマックス!!」ってトコに現れる。

0925004_2

簡単に言えば、勇気を振り絞ってねぇチャンにコクったら、あっさりフラレタ時のショックみたいなモンですな。ここでのテーマとは大分かけ離れた表現だけど。

この辺で一旦締めることにする。これ以上譜例挙げてクドクド言っても仕方ないし。

じゃあ、なんなの?そうやって音程をアゲサゲすることによって、ベートーヴェンは何を言いたかったの?

全体の譜面をここにお見せする事はできないけど、この曲ってのは、たくましく上昇してゆくのは、一番最初の4小節だけで、あとは、上がっちゃぁ下がり、上がっちゃぁ落としこめられる、その連続なのだ。この曲を比喩的に捉えると、こういう言い方ができる。

「一人の男が自分の意志の力で、前に進もうとするが、そのたびに、運命の逆流にのまれ、ずるずる後退してゆく。その中で、優しい女性の慰めに会い、またもや元気付けられた男は力強く前進しようとするが・・・」

いや、もうこれは実は戯曲「コリオラン」(コリオラヌスのドイツ語読み)の筋そのまんま。フツーなんかの物語を音楽化する場合、そのイメージだけを流暢に語らせる事が多いんだけど、ベートーヴェンはそんな甘っちょろい事はしない。ちゃんと、数学的、心理学的に音楽を捉え、それをこの曲においては「音程関係」により表現しようとした。

実は、ここまで「音程」にこだわって曲書いたのはほとんどこの「コリオラン」だけ。もちろん、これ以降の作品でもこの技法は使われているが、それは、他の技法と絡めて総合的に用いられている。つまり、この曲は、新たな自分の音楽語法を身に付けるための「習作」でもあり「実験作」でもあった、と言うわけだ。

そして、前述の比喩表現「一人の男が・・・」だが、これは、その後の「第9」のプログラミングと酷似する。ピアノソナタなら「熱情」「作品111」はこれに近いし、実はさっきカンケーないと言った「第5」にも、ある種の共通項を見出せる。つまり、これは、ベートーヴェンのこれ以降の音楽の一大テーマである「意志と運命との葛藤、女性的なものへの憧れ」という一連の作品群の幕開けにもなるわけで、その意味でも重要な作品ではある。

でもアタシが本当に好きな理由はそれじゃぁないんだよなぁ。

一番最初にも言ったんだけど、この曲ってベートーヴェンの「内面告白」の印象が強くするのさ。コリオラヌスがモデルっても、そんなのアタシに言わせりゃこじつけよ、コジツケ。

ベートーヴェンって、いろんな楽器編成の音楽を書いたけど(当時の作曲家なら当たり前だが)、その楽器編成に合わせて、音楽の作り方もガラリと変えている。端的に言うと、ピアノは自身の日記みたいなもの、室内楽は当時のスポンサーに向けた商売音楽、弦楽四重奏だけは例外で、これは、どっちかと言えば第3者的な心情吐露、あるいは、特に大編成管弦楽を書く前の技法、音楽語法のチェックにも使われた。そして、管弦楽は大衆に向けた、所信表明演説に近いものがあって、良い意味で外ヅラを大事にしている。メロディ、盛り上がり、いずれもはっきりくっきりですよ、オケ作品は。

もちろん、それも好きだし、カッコいいけど、例えばあの「第9」の壮麗なフィナーレの合唱を聞いて、「そりゃ、あなたの言いたい事は分かる、分かるけど、ホンネはそうじゃないよね、ね!」ってたま~にツッコミを入れたくなるのね。外でライブする時は「オレはノリノリだぜ、お前らついて来い!!」って言ってて、家帰ったら、部屋の隅で膝抱えて黙り込んでるヤツ、みたいな・・・。

「コリオラン」は彼の管弦楽作品の中で、とりわけ外面的な効果を重要視していないように思う。「音程関係」なんて、シロウトからすりゃ、とてつもなくマニアックだよ。そんなことより、トランペットでガンガン吹き、ティンパニダンダン叩いて派手にやって、ヴァイオリンで鳴き節ひとつでもこさえてやった方が、大衆にはウケるだろうっての。事実「第5」も「レオノーレ3番」もそうしていて、当然だがベートーヴェンもその辺は、ちゃんと心得ているわけだ。

でも「コリオラン」には、それが、全くと言う訳じゃないが、前面には出ていない。それだけに、なおさら自身の胸の奥底でもがき、苦しみ、時に安堵を見出す等身大のベートーヴェン像がよりはっきり感じられると思う。ちなみに私がすきなのは、例の「サビ」=第2テーマが三回目に登場する時に、最初にメジャー(長調=明るい)で出て、すぐにマイナー(短調=暗い)に転じる「アノ」瞬間、それから、その後、盛り上がって、トランペットの強奏をバックにユニゾン(全合奏)でシンコペーションして行く部分です。

と言うわけで、・・・いけねぇ、聞き比べだった・・・もう時間がないや。聞き比べは次回、と言う事で!!

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